プロフィール

大月渉のプロフィール

1988年に群馬県伊勢崎市に生まれました。ぼくの実家の周りは畑や田んぼが多く幼少期は近くの公園まで双子の兄と一緒に行ったのを覚えています。兄とはいつも一緒だったのでゲームをするのも友達の家にいくのも一緒でした。

今思えば兄がいたからゲームや学校の勉強は負けたくないと思っていたのかもしれません。

野球ばかりやっていた中学生時代

とにかく中学生になったら野球をやっていたことばかりが頭に残っています。

当時は「テニスの王子様」「ホイッスル」と言った漫画が流行っていたこともあり野球部はすくないのかと思いきや1学年で25人もいるという大所帯の部活でした。多分同級生の野球部の家には1度は言ったことがあるくらいみんな仲良く野球をやっていました。

部活の成績自体は大したことはなかったのですが、時々この頃のメンバーにも会いたくなってきます。

ハンドボールに出会う

高校になると新しいスポーツがやってみたくなりハンドボールがあって商業の勉強ができる学校を選びました。

高校の部活となると練習量も中学の比ではありません。しかも当時は体罰は全然問題視される時代ではなく、むしろ体罰を行ってる部活が成績をあげているスポ根の風潮がまだ残る学校でもあったので部活にいくのが怖かった時期もありました。

ですがこのハンドボールに出会えたのは一生のなかでも財産だと思います。多くの時間を一緒にすごして遠くの地まで遠征して、合宿して、と多くの思い出をぼくにくれました。

惜しくも関東大会は逃しましたが県内上位の成績が出せたのはよかったと思ってます。

いまだに松ヤニと両面テープの匂いには高校時代を思い出させてくれるものです。屋外での練習でしたので松ヤニで黒くなったTシャツがなつかしいです。

片道2時間半の大学へ

ぼくの行っていた高校は商業でしたので必然とペーパーテストでの進学は難しくなってきます。

なんせ普通高校の子たちがやる数学の時間に「簿記」や「情報」といった専門科目をやるからです。ぼくの記憶の中では高校の時に一年生しか数学というものがありませんでした。そのあとは今でいう「ITパスポート」や「日商簿記2級」といった資格試験に対しての勉強が多くありました。

ですので資格や部活の成績を武器に推薦で大学に行きました。当時ぼくは銀行に勤めたくて高校は商業を選びました。ですが高卒での銀行への就職というはもはや何十年も前の話で、女の子の事務職を取るのがせいぜいでした。ですので両親に話をして大学に行かせてもらいました。

ところが大学の近くで華々しく一人暮らしなんてのは夢のまた夢で、電車を乗り継いで最低片道2時間半をかけて大学まで通っていました。

今の自分では考えられないようなことをしていました。2コマしか授業がなく1コマ休講になったときの残念な感じはいまでも忘れません。

そんな大学生生活ですが、相変わらずハンドボールは続けていました。

3月から部活に行っていたので4月の部員の勧誘は1年生ながら同じ1年生を勧誘していました。

学生リーグの6~4部を行ったりきたりする部活でハンドボールは7人でやるスポーツなのに6人しかプレイヤーがいなかったり、有名校ばかりから集まっているわりに練習量が少なくて負けたりと山あり谷ありの体育会に入っていました。

この部活にも色々な人にお世話になり、今でも年に1度や2度位はOBで顔を合わせていたりするのでハンドボールのプレイヤーというのは思い出深い人ばかりです。


平均年収1300万円 オートレーサー募集

というわけで大学生活も残りが少なくなってきて就職活動というものを始めました。

ぼくの就活の開始の2年前にはリーマンショックがあり超氷河期と言われる時代が到来していただけに思うように就職先が決まりません。よくある50~100社前後落ちる状態です。

無論私が目指して大学まできて銀行員にもなれず、この時ばかりは時代を恨みました。

時代という言葉で片付けてしまうのは正直情けないとは思っていましたが、まだ大学生活も残っているし何をしようかとずっと考えていた時に当時のeバンク銀行からのメールマガジンを何気なくみていると

「年収1300万円 オートレーサー募集」

これだ!!!

これにかけるしかない。当時はそう思いました。

両親にお金を出してもらって大学まで行かせてもらったのに就職ひとつ決まらず、途方にくれているぼくには輝いて見えました。

それからは選手候補生になるために養成所の試験の対策を毎日やっていました。性格検査や適性検査、体力検査などの試験に受かるために体を絞って、すべてはこの試験のために費やして1次試験の結果を見た時は涙がでました。

でも2次試験や3次試験があるのでうかうかできません。

ぼくが今こうやっていられるのも、あの時の「選手になりたい」という気持ちがあったからだと思います。

現在は選手の試験の受験者が減少傾向にありますがぼくが受けたときはまだ1000人近い人が受けていました。この時のノウハウはあとで何かしら文章にして、オートの試験を受けたことのある人やこれから受ける人に向けて公開する予定です。

養成所の生活

晴れて養成所の試験に合格して名簿をみて驚いたことがあります。

「女の子がいるの?」

これだけなんですが、のちにオートレース界に名前を残す2人が31期の同期として一緒に入所になりました。

養成所では分単位でスケジュールが決まっていて訓練のカリキュラムを月曜から土曜までぎっしりと組まれています。月曜から金曜は乗車や整備の訓練、土曜日は一般教養のカリキュラムが組まれていました。

毎日6時すぎには起床して点呼。走路に行って体操やランニングを行います。朝食を 5分くらいで済ませ、午前の訓練です。

夜も10時半くらいには点呼と消灯なので規則正しい生活です。こんな生活を続けているある日に事件は起こります。

そうです。怪我です。

二輪車での事故での怪我で多いと思うのですが、ぼくは養成所で左舟状骨の骨折をしています。

三角巾を首から釣ってみんなの走行を見守る生活になってしまいました。せっかく養成所に入ったのに自分は乗車できず、見守るだけ。月に1度各支部の選手が指導にきてくれるのですが、その時に常々

「気持ち切らすな。」「復帰したら追いつけ」

と言葉をいただきました。デビューしてからも何度かこの時のことを思い出して今でも同期に追いつけ追い越せでレースに向かっています。

そしてぼくが復帰した2日目に世界がまた一転します。

そうです。3.11です。

別メニューで走行練習をしていたので同期のみんなの走行を見ていた時でした。いきなり地鳴りがして防音フェンスが揺れ、車も踊っている。

こんなの映画のワンシーンでしが見たことがありませんでした。

断水して電気も届かずに1夜明けて電気は届いたらテレビのなかでは怪獣モノの映画でもやってるありさまの現実が写っていました。この地震で養成期間は1ヶ月の延長を余儀無くされました。

ぼくたちは一時帰宅が認められ帰省していたのですが、正直半年近く乗車できていない自分に焦りました。同期はみんな乗車訓練をこなして周回数を多くしています。地震で帰省して卒業証書をもらいに行った時にも「このままデビューできなかったらどうしよう」と不安が先行していました。

1ヶ月の帰省も終わりぼく以外は各レース場での実地訓練をこなしていました。ぼくは一人で教官と居残りで周回数をこなしデビューに備えていました。

デビュー

養成期間も終わり、選手検定試験も合格して動機とは1ヶ月遅れてのデビューとなりました。正直半年近く乗車していないのを1ヶ月でデビューさせられてしまったと心の中で思いました。

同期はロードレースからの転向や女性レーサーと何かと話題を集めている31期です。当然まわりは華々しいデビューを飾る同期が多かったのを今でも覚えています。

そんな中、ぼくはというとデビュー戦はぶっちぎりの8着。そして2日目に雨が降って1着をとれました。

正直人前でレースをするなんていう経験を今までしてきたことなんてないのですからガチガチの緊張のなか6周回をレースをしてきました。レースのあとに選手同士で「ありがとうございました。」と挨拶を交わすのですが呂律が回りませんでした。

散々なデビュー戦のあと500ccという新人戦用のエンジンを乗れるまでは1年半というぼくにとってはとてつもなく長い年月が必要でした。

養成所でのケガ、1ヶ月遅れてのデビュー。車券に絡めない日々。

デビューしてからと言うもの新人と呼ばれる期間は、理想と現実のギャップを埋められないまま終わりました。

500ccでの最後のレースがぼくのなかで500ccを一番乗りこなせたレースでした。当時新人王決定戦が行われており、ぼくも1着をとれれは決定戦に進めるというレースでした。レース結果としては

試走48上がりタイム3.445

タイムアップの即適応罰則で帰郷となりました。今ではいい思い出です。

一級車(600cc)への乗り換え

罰則期間が終わりお正月になると今度は600ccへの乗り換えで先輩選手と同等の排気量でのレースとなります。

当時ハンデは最重ハンデの60m前で500ccが終わったのですが、お正月になったら40m前になっていて本格的にクビかもしれないと思いました。当時は40m前でもやっていける自身はありませんでしたし、むしろそんなところで走ったらもっと8着ばかりになるのではないかと毎日ヒヤヒヤしていました。

そんな600ccデビューから月日は経ち、優勝戦の出場をなんども経験し、グレードレースも経験しました。

2018年8月現在でやってないのは「優勝」と「SGへの出場」だと思います。

当面はこの2つを目標に頑張っていきたいと思います。

まだ書くことはあるのですが、こんなところで「大月渉」の自己紹介を終わります。



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