仕事へのやる気がある人が6%と異常に低い。
日本人は勤勉で言われたことはこなす、とよく言われてきたはずなのに「熱意」という尺度で見るとわずか6%である。
失われた20年といわれるだけあって、日本の成長しているという実感は薄くやっても成果が得られないと考えている人が多いのではないか。
これが記事にある無気力社員につながるのではないだろうか。
上記にあげたように日本人の気質からいえば勤勉で言われたことはこなす。
ここまでは正直なところ「言う」人がいれば「やる」ということなのだろう。
では、熱意というものはどのようなものなのだろうか。
まず「熱意」とは熱烈な意気込み。熱心な気持ちのことを言う。
これだけでは、いまいちよくわからないので噛み砕いていくと
仕事に対して100点満点をとっても満足せずにその上のパフォーマンスを出すことと解釈できる。
この仕事に対する熱意というものがかける背景をぼくなりに考えてみた。
まずは学校教育があげられる。
センター試験や定期テストに代表されるように、問題と答えがセットになっているものがほぼすべてである。
誰かとディスカッションして、お互いをリスペクトしあいながら相手の意見を受け入れるというものが希薄であることは間違いがない。私が学生であった十数年前は少なくともディスカッションの授業はほぼなかった。
現在でこそ増えているが、テレビを観ているとわかるように「この答えを知っている」「この知識がある」というクイズ番組が多い。
これは簡単に視聴率が稼げて、タレントも使いやすいというテレビの構造ではあるがこれも問題と答えがセットになっているから非常に簡単にできるものである。
このことから問題と答えがセットになっていない「問題」を「解く」ということが求められずに学生時代を終えることになる。
社会に出てからはもちろん下積み時代もあるとは思うが、現状の問題に対する「複数」の答えを準備しなければならないことがおおい。
加えて自ら「する」ではなく「やらされている」というものが非常に多い気がする。日本人の集団意識には自分が「したい」よりも優先することがある。この代表例が部活ではないだろうか。
言われたことを忠実にこなして、大会や発表会に向けて準備をする。
正直何を「したい」かというものを持たずに取り組んでいても大丈夫な構造をしている。今でこそ部活の時間制限がきつくなり「考えて」練習をしなくてはいけない機会が増えてきた。
だらだらやって量をこなして、プレーの再現性を高める。という手法が通用しなくなってきたのだ。
これからは自分で必要なもの、伸ばしたいものを自分が選択してやらなくてはいけない。
これがやる気のない社員の減少につながるはずである。
個人がリーダーシップを持って取り組み、やりたいことをやる。もりろん雑用と呼ばれる作業もこなす時間も計算に入れて動く人材になるはずである。
「やらされる」から「やる」へのシフトが今後の日本のキーになっている。もう一部の人間はそのシフトを終えているの社会全体がシフトする順番なのだと思う。